笑顔になる〜人生晴れたり曇ったり!

2007年にがんサバイバーとなりました。笑顔である事の大切さ、難しさを実感。いきている事の素晴らしさと喜びを多くの人に伝えたい。そんな ブログです。

Japan Cancer Forum

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ゆっくりお茶を飲みながらふと考えます。

 

 

私が子どもの頃は、“がん”はとても怖くて他人に言っちゃダメなコトのような気がしてた。

私が罹患した10年前も、まだあまり周りの空気は昔とあまり変わらなくて…。

 

今は、“がん”を正しく知る事が出来る。

“がん”は怖いだけの病では無いって思える時代です。

 

そして、決して特別な病では無くて

誰でも罹患する可能性のある病だと思います。

 

8/19・8/20 『Japan Cancer Forum』開催。

http://www.cancernet.jp/jcf/2017/

https://www.facebook.com/JapanCancerForum/

 

常識と非常識

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我が家近くのドラックストアへ。

 

ドラッグストア、というカテゴリーがどういう分類に当てはまるのか

わからないが。

お薬に日用雑貨、お菓子にアルコール…お肉まで置いてある。

 

しかし

“ドラッグストア”という響きに惑わされていたか、私!

 

最近改装したらしい店内、商品棚も配置が変わってる。

 

レジ周りも…ってレジへ行ってびっくり。

 

タバコ販売してる…‼︎なぜ?売る⁇

 

企業倫理とかを疑う!と訴えたい私がおかしいのか…

 

私の常識、他人の非常識ということなのか。

 

わからん‼︎

 

イイお話きいた!

先週のことですが。

 

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日本臨床腫瘍学会学術集会なるものへ。

っといっても、静かにお席に座らせてもらって

というだけですが(笑)

 

岡山大学の会場では、

神戸の会場からの中継映像を配信される時間と

神戸のPAP会場とやりとりをしながら発表される時間があり

私は全部、というわけではなかったのだが

多くのお話を聴いて帰った。

 

そんなの聴いてどうすんの⁇なんて言われそうだけど

大事なお話しいっぱいでした。

 

もちろん、ムズカシイ言葉も出てくるし

ついていけない事柄も多々。

しかし、

広く観たり聴いたりする事、コレ大切な事じゃないかな。

 

1番深く響いた内容は

ある患者会さんのお話。

患者会の活動として、それぞれ多岐にわたる内容で催されているのだが

その患者会では、

キチッとした取り決めを持たれていて、

とても信頼感を持てる会だと感じた。

例えば、個人の情報の秘密厳守や、医療的なアドバイスなどはしない、といった内容。

どこまで徹底するのか、意見の分かれるところではあるのだが

しっかりと線を引き、自分たちのできる事をしっかりと活動される姿勢に

とても安心だけでなく信頼感を感じられる。

参加の患者さんもこころ強いのではないだろうか。

 

素晴らしいお話を伺ったと元気よく帰宅したのです(^^)

 

人のふり見て我がふり直せ…だなぁ。

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雨が降れば豪雨。晴れれば酷暑…どうなってるんだ!と言いたくなります。

 

環境の変化なのでしょうか…。

 

先日は3ヶ月に1度の受診。10年前の婦人科の手術の際の後遺症っていうのかな

婦人科ではないけど別科を3ヶ月ごとに受診しています。10年ずーっと…

それ自体命に別状があるわけでもなく、担当医も数ヶ月ごとに変わり、その度同じことをはんを押したようにきかれ…。

お医者さまからみれば、腕を振るうようなものではないということでしょう。

診察時間は5分かかるかかからないか…。

 

私のQOLというものは改善されることなく。このことに慣れてしまっている私がいるわけで。

困ったことはないですか?

と聞かれても

もう慣れたからなぁ、「大丈夫です」と答えるしか…。

 

そんな中の先日の受診。

何か先生も忙しかったのでしょう…待つことおよそ2時間。

私なんてけん尿検査結果出れば、それ以外は何もなく、カテーテルを出してもらい会計を済ませるだけ。

急患が入ったのかと思いきや、診察室から先生が出る様子もなく、病棟へ駆け込んで行く様子ももちろんなく…。ようやく入った診察室の机の上には、スマホに手帳にメモに…散乱と言って良い散らかりよう。

入るとすぐに

「えっと…3ヶ月ごとに来てるんですよね。次回も同じ曜日でいいですか?」

「…えっ?」(なんの話なの⁇)

返事に一瞬困ってしまった。

 

なんと、

問診も診察らしきことも、ましてや朝のけん尿検査の結果も伝えることもなく

次回の予約の話を始めたのである。

 

ありえん。ありえないすぎる。患者を馬鹿にしているのか!

お待たせしました、のひとことくらいは、人としていうべきではないのか?!

と激怒する場面なのであろうが…それ以前に待たされ疲れた私には、罵倒する気力も怒る元気もなく…(笑)

ちょースカした顔して

「次回の予約のことですか?」というのが精一杯。

 

そこで気づいた先生、ようやく検査結果が良かった、という。

 

ここの病院ではそんな先生いないのかと思ってたけど…それは間違い(笑)

 

どこにでもそういう人はいるのだな。

 

“人のふり見て我がふり直せ”

 

この日学んだ大きな教訓!

 

夏・夢・甲子園

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またまた投稿が空いてしまった…。

 

先月はやはりココロのざわつきが大きくなっていたかもしれない。

10年経ったと言うのに。

 

闘病をするのに子どもが大きな力になったことは間違いなくて。

支えにしてしまって申し訳ないとも思うのですが。今は感謝の思いでいっぱい。

 

告知をした夜こっそりと泣いた娘とは対照的な息子。

 

小学4年の息子にはいつ、どのように告げるか…そのタイミングが見つけられずにいた。

しかし、周りの空気から感じ取ることは大きかったようで、

何も自分だけが知らされていないことからか、だんだん荒れてきた。

それは家でも学校でも見受けられるようになり…。ある日、喧嘩ごしに伝えてしまった。

 

否定して欲しかった事実を告げられたからか、母が死んでしまうのではないか、

いろんな感情がふきだしてきたのだろう、大泣きをし、大暴れをし…半日続いた。

庭へ出ては、大きな木を叩いたり蹴ったり…うちの中へ入っては、手足をジタバタしながら泣いたり…

どうしよう、と思っていたのだが…まだ術後すぐの身、横になって眺めるか椅子に座って待つしかなく。夕方になり落ち着き、一緒に食事をし、夜は私の布団で寝たい、と言ってきた。

「母さんは、死んでしまうの?」と涙を浮かべて聞いてきた。

「死なないよ。死なないためにこれから治療もするんだよ。」

「でも、髪が抜けたら、ハゲになるよ。」

「髪の毛は元どおりに生えるんだよ。でも、髪の毛が抜けるのが嫌で治療をしなかったら、

病気に勝てないかもしれないんだよ。」

「うん、わかった。絶対死なないでね。」

「うん。絶対死なないよ。」

「僕、野球をもっと頑張って上手になって、甲子園に連れて行ってあげるから

    絶対死なないでね。」

そんな会話をした。

 

中学・高校と野球を続け、高校球児を支える母として、楽しい時間もいっぱい過ごした。

 

 

高校3年生の夏、

「いっぱいありがとう。残りあと少し頑張るよ。

 オレの夏が終わったら、今度は母さんも自分のやりたいことやったらいいよ。」

 息子から感謝と母へのエールの言葉。

「そうなの?ありがとね。じゃ、母さんも頑張ろうかな」と言うのが精一杯。

 

息子の甲子園の夢は叶わなかったけど、

最後の試合では、先発投手としてマウンドに立ち、勝ち投手となった。

こっそり密かにこれが母の自慢。

 

この夏の季節になると、フッと思い出すのです。

ありがとね、母さんも頑張ってるよ。

 

娘の優しさ。

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あの頃、中学受験真っ最中だった娘は、この春から社会人に。

 

結局娘の中学受験は、5戦3勝1敗1分け。…ん?1分けってなんだ(笑)

 

全ての受験が終わり、最後の発表日は

術前に受けた化学療法の退院の日だった。

病院から直接、発表の掲示を見に行った。残念ながら唯一の敗戦はこの学校。

 

夜には、どこに進学先を決めるか、家族会議。その会議の後、娘には病気である事を告げた。

詳しく癌であると全てを話すのは、手術が終わってからだったので

まだ1ヶ月先になるが。

今まで告知した日の事を話すこともなかったのだが、振り返って娘が教えてくれた。

 

癌だと聞いた夜、布団の中で泣いたんよ。

 

そうだったのか…。

手術のための2週間の入院が終わり退院したその夜、娘に告げた。

長い話を黙って聞いていた娘は

わかったよ、おやすみなさい。と言い自分の部屋へ。

穏やかな反応にホッとしたのだが、それは私を気遣った態度だったのだ。

10年も経って初めて知る娘の気持ち。

ごめんなさい、ありがとう。娘にも守ってもらったのですね、私。

 

 

その頃の私の心の中には

このまま人生を終わらせる訳にはいかない、という気持ちと

それでも、もしかしたら…、という気持ちが錯綜していた。

子どもたちは、しっかりと自立出来る子に育てなければならないと強く思って。

 

もしかしたら厳しく言うことも多々あっただろう。

なんで、我が家はゆる〜くないのか、と不満に感じていたかもしれない。

しかし文句も言わず、

いわゆる思春期の反抗もあったけど、それはそれは可愛いものだった。

 

中学の卒業式までは、高校卒業までは、成人式までは…と願って過ごして日々も。

それが、大学を卒業し社会人に。本当に感謝である。

晴れて社会人の彼女。独り立ちししっかりと生活してるらしい。

ほとんど連絡もないが職場にもなじんで頑張っているらしい。

嬉しいかぎりである。が…。

 

…それはそれでさみしい気持ちもあるのだが(笑)

私に心配をかけまいと思っている娘の優しさかな、と勝手に解釈する母なのである。

あの頃を思い出す。

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先週の悲しいお知らせから数日。

その話題から離れたいけど、目に耳に入ってくる。

 

境遇が似ている訳でも無いのだが、つい我が身に置き換え考えてしまう。

 

私が“癌”である事を告げた時

 

主人は、娘は、息子は、父は、そして母は…どんなに悲しかったのだろう。

 

医師から告知をされて1番に連絡をしたのは父だった。

母は以前に体調を崩していたので、直接伝えるのは…辛かった。

まぁ、そんな私の気持ちには気づくこともなくすぐに母の耳に入ってたけど(笑)

 何故、父だったのか、それは自分でも謎である。

「ごめんなさい」と付け加えた覚えがある。

 

それから主人に連絡をし、『今日中にもう一度ご主人と共に来てください。』と言われた事を告げた。

主人は何も言わず、ほんとに何も言わず。数時間後には再び主人と一緒に病院に来ていた。

うろたえたり、嘆いたりしなかった主人は、とても頼りになり有り難かった。

しかしつい最近、あの頃は必死だった、と初めて知った。

そうだったのか。…いや、そうだよね、私以上に大変だったのは主人だった。

 

そんな記憶、時には封印しておきたい想いが、フーッと湧いてくる。

もう遠い昔の記憶なのだが、新聞のスクラップ記事のように切り取ったように思い出される。

 

家族のみんなも、誰も口に出さないけど、同じように、思い出しているのだろう。

今も何も言わず、笑顔でいてくれる、本当に感謝なのである。